前回からの続き:エゴという病

前回の記事『経営者の心理的安全性が企業価値を決定する衝撃の真実』では、優秀な経営者たちがいかにして自らのエゴと成功体験の罠に陥り、企業を崩壊させたかを見てきました。
しかし、エゴの暴走がもたらす悲劇は、企業の倒産だけでは終わりません。
今回は、20世紀において個人のエゴが極限まで肥大化し、人類史上最悪の惨事を引き起こした二人の男の物語を通じて、エゴの本質的な危険性をさらに深く掘り下げてみたいと思います。
数字が物語る恐怖
企業の失敗は株主や従業員に損失をもたらします。しかし、国家権力と結びついたエゴの失敗は、文字通り数千万の命を奪います。
アドルフ・ヒトラー
- ホロコーストで600万人のユダヤ人を虐殺
- 第二次世界大戦全体で1700万人を殺害
トロフィム・ルイセンコ
- 中国で3000万~4500万人の餓死者
- ソ連で350万~700万人の餓死者
前回見た経営者たちの「自分は特別だ」という思い込みが、国家規模で発現するとこうなるのです。
ルイセンコ:「自分は絶対に正しい」症候群の極致
無知と傲慢の致命的な組み合わせ
ルイセンコは、前回紹介した失敗する経営者たちの特徴を極端な形で体現していました:
1. 過去の成功体験への固執
- 一度の実験成功(実は偶然)を普遍的真理と信じ込みます
- 「私の方法で小麦が育った」→「全ての農業はこうあるべきだ」
2. 批判的意見の排除
- 反対する科学者3000人を粛清
- 「数学など生物学には不要」と統計的検証を拒否
- まさに究極の「イエスマン」環境を構築しました
3. 現実認識の歪み
- 農民が餓死しても「理論は正しい、実行が悪い」
- 失敗を認めることは自己否定につながるため、現実を歪めて解釈します
エゴが科学を殺した瞬間
13歳まで読み書きができなかった農民出身という劣等感が、彼を駆り立てました。「学歴エリート」への憎悪と、「自分こそが正しい」という補償的な傲慢さ。これは、多くの成り上がり経営者にも見られる心理パターンです。
しかし企業なら倒産で済むところが、国家権力と結びつくと数千万の餓死者を生みます。
ヒトラー:被害者意識が生んだ究極の加害者
屈辱をエネルギーに変換する病的メカニズム
ヒトラーもまた、前回の記事で見た「緊急中毒」経営者たちの特徴を極端に示しています:
1. 危機の創出と利用
- 常に「敵」を作り出し、緊急事態を演出します
- 「ユダヤ人の脅威」という架空の危機で権力を維持しました
2. カリスマ的リーダーシップの罠
- 批判を許さない絶対的権威の確立
- 側近は「総統の意思」を忖度して暴走します
3. 現実逃避と自己正当化
- 敗戦が明らかでも「奇跡の逆転」を信じます
- 最期まで他者(ユダヤ人)のせいにし続けました
エゴが憎悪に転化する時
画家志望の挫折、第一次大戦での敗北…個人的な屈辱体験が、民族的憎悪へと転化しました。これは、失敗した経営者が市場や規制のせいにするのと同じ心理メカニズムの、極限まで増幅された形です。
エゴの増幅装置:なぜ個人の狂気が大量死を生むのか
組織がエゴを暴走させる
前回の記事では、企業組織がいかに経営者のエゴを増幅するかを見ました。国家レベルでは、この増幅効果は桁違いになります:
1. フィードバックループの遮断
- 独裁体制では否定的情報が上に届きません
- 「大躍進は成功している」という虚偽報告の連鎖が起こります
2. 責任の分散と希釈
- 「上からの命令」で個人の良心が麻痺します
- 企業の「上司の指示」が、国家では「国家への忠誠」になります
3. 集団的自己欺瞞
- 全員が「これはおかしい」と思いながら続けます
- 沈黙の螺旋が現実認識を歪めます
エゴの本質:自己保存の暴走
両者に共通するのは、自己イメージを守るためなら現実さえ否定するという、エゴの本質的な特徴です。
- ルイセンコ:「私の理論が間違っているはずがない」
- ヒトラー:「私が負けるはずがない」
これは、倒産寸前でも「我が社は大丈夫」と言い続ける経営者と、本質的に同じ心理構造です。
現代におけるエゴの危険性:私たちは学んだか?
テクノロジーが変えたエゴの形
現代では、エゴの暴走は新しい形を取っています:
1. SNS時代の承認欲求
- 「いいね」の数が自己価値を決めます
- エコーチェンバーで妄想が強化されます
2. データの恣意的解釈
- 都合の良い数字だけを見る経営者
- 「ビッグデータ」を曲解する政治家
3. カルト的企業文化
- 「ビジョナリー」CEOへの盲従
- 批判者を「文化に合わない」として排除します
エゴとの付き合い方:破滅を避けるために
前回の記事では「緊急中毒」からの脱却法を提示しました。今回の歴史的教訓から、さらに深いレベルでの対処法が見えてきます:
1. 構造的な批判システムの確立
- 反対意見を制度的に保護します
- 「悪魔の代弁者」を公式化します
2. 失敗を認める文化の醸成
- 「間違いを認める勇気」を評価します
- 撤退戦略を事前に用意します
3. 権力の自動的制限
- 任期制限、権限分散
- 「自分は特別」という思い込みを制度的に防ぎます
結論:エゴは必要悪か、それとも純粋な悪か
エゴの二面性を理解する
確かに、ある程度の自信と自己主張(健全なエゴ)は、リーダーシップには必要です。問題は、それが批判を拒絶し、現実を歪めるレベルに達した時です。
前回見た経営者たちの失敗は、せいぜい数千人の雇用と数億ドルの損失で済みました。しかし、ルイセンコとヒトラーは、エゴの暴走が究極的にはどこまで行き着くかを示しています。
最後の警告
ビジネススクールでは「強いリーダーシップ」を教えます。しかし、歴史が教えるのは**「強すぎるリーダーシップ」の危険性**です。
あなたの組織に、こんな兆候はないでしょうか?
- トップの意見に反対しにくい雰囲気
- 失敗を認めない文化
- 「我々は特別だ」という選民意識
- 批判者を「敵」として排除する傾向
もしあるなら、それは将来の破滅への第一歩かもしれません。規模の大小はあれど、エゴの暴走が導く先は常に同じ—現実との衝突による破滅なのですから。
この記事は、前回の『経営者の心理的安全性が企業価値を決定する衝撃の真実』の続編として、個人のエゴが組織や国家レベルでどのような破滅をもたらすかを歴史的事例から検証したものです。ビジネスリーダーの方々には、日々の経営判断において、自らのエゴと向き合うことの重要性を改めて認識していただければ幸いです。